jr西日本 宝塚線 事故 4


2005年4月25日、私たちは、福知山線において、106名のお客様の尊いお命を奪い、500名を超える方々を負傷させるという、極めて重大な事故を惹き起こしました。お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、ご遺族の皆様、お怪我をされた方々とそのご家族の皆様に深くお詫び申し上げます。 また、周辺にお住まいの方々をはじめ、多くの方々に大変なご迷惑をおかけいたしましたことを心よりお詫び申し上げます。あわせまして、警察、消防、自衛隊、医療機関、周辺企業、自 … 兵庫県尼崎市で2005年4月に乗客106人が死亡したJR福知山線脱線事故で、JR西日本の長谷川一明社長は7日、大阪府吹田市内に建設する事故車両の専用施設を24年秋ごろに完成させると発表し …
| 2005年4月25日の朝、当時は前の仕事を辞めて自宅警備をしていた頃で、たまたま何気なくつけたテレビで見た映像は衝撃でした。. jr福知山線脱線事故で、現場近くに設けられた献花台. (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); YouTube=鉄道ファンの待合室資料館では、珍しい列車・話題の列車の走行動画を編集少なめで公開しています。.

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4両目と挟まれて圧壊。外壁にへばりつくような状態で、1 - 2両目は原形をとどめないほどに大破した[6][7]。また、3 - 4両目は反対側の下り線路を支障していた。, 事故列車は、直前の停車駅である伊丹駅で所定の停車位置を超過(オーバーラン)していた。これについて、事故が起きる前に運転士が車掌に対してオーバーランの距離を短く申告するように打診し、車掌が新大阪総合指令所(現・大阪総合指令所)に対して約70 mのオーバーランを8 mと報告し、JR西日本も当初車掌の証言通り8 mのオーバーランと発表していた。 このことから、事故後にほかの路線や鉄道会社において発生した列車のオーバーランについても大きくクローズアップされた。さらにJR西日本が事故当日に行った発表の中で、線路上への置石による脱線の可能性を示唆したことから、愉快犯による線路上への置石や自転車などの障害物を置くといった犯罪も相次いだ。, 事故発生と同時刻には、並行する下り線に新大阪発城崎温泉行きの特急「北近畿3号」が接近中だったが、事故を目撃した近隣住民が近くの踏切支障報知装置(踏切非常ボタン)を押したため、特殊信号発光機が点灯。運転士が異常を察知し、およそ100 m手前で緊急停止して防護無線を発報しており、二重事故は回避された。事故後、現場の曲率半径304 mの曲線区間は制限速度70 km/hから60 km/hに、手前の直線区間は120 km/hから95 km/hへとそれぞれ変更された。, 事故列車は、4両編成と途中の片町線(学研都市線)京田辺駅で切り離す予定だった3両編成を連結した7両編成で運転していた。前から1・4・5・7両目の運転台のある車両に列車の運行状態(非常ブレーキ作動の前後5秒間)を逐一記録する「モニター制御装置」の装備があり、航空・鉄道事故調査委員会が解析を行ったところ、前から5両目(後部3両編成の先頭車両)と7両目に時速108 kmの記録が表示されていた。ただし、これがただちに脱線時の速度を示しているとは限らない。先頭車両が脱線、急減速した影響でジャックナイフ現象によって車列が折れ、連結器部分で折り畳まれるような形になったために、側面から玉突きになって被害が拡大したものとされる。, 当時、事故車両の1両目は、片輪走行で左に傾きながら、カーブ開始点付近の線路そば電柱に接触し[8]マンション脇の立体駐車場と同スペースに駐車していた乗用車を巻き込むとともに左に横転、マンション1階の駐車場部分へと突入し奥の壁に激突した。続く2両目も、片輪走行しながら、マンションに車体側面から叩きつけられる状態に加えて3両目に側面から挟まれるように追突されたことによって、建物に巻きつくような形でくの字型に大破。3両目は、進行方向と前後が逆になる。4両目は、3両目を挟むようにして下り線(福知山方面)の線路と西側側道の半分を遮る状態でそれぞれ停止した。なお、事故発生当初、事故車両の2両目部分が1両目と誤認されていたが、のちに本来の車両数(7両)と目視で確認できる車両数(6両)が一致しないことから捜索され、1両目が発見された。, 駐車場周辺において電車と衝突して大破した車からガソリン漏れが確認されており、引火を避け被害者の安全を確保するためにバーナーや火花が散る電動カッターを用いることができず、救助作業は難航した。また、3両目から順に車両を解体する作業を伴い、徹夜で続けられた救助作業は事故発生から3日後の4月28日に終了した。, 近隣住民および下り列車に対しての二次的被害は免れたものの、直接的な事故の犠牲者は死者107名(当該列車の運転士含む)、負傷者562名[1]を出す、交通機関の事故としては歴史に残る大惨事となった。犠牲者の多くは1両目か2両目の乗客で、受傷理由として脱線衝突の衝撃で車体が圧壊し内装部材や車体に押し潰されたことによる損傷などを負ったとするものもあるが、死因で最も多いものは、車内で飛ばされるなどして打撲受傷した、頭蓋底骨折、陥没骨折などによる脳挫傷、急性硬膜外血腫、硬膜下血腫などの脳と頭部の損傷であり、死者のうち42名、全体の40 %を占めていた。そのほかに胸腹腔内損傷、胸腹部圧迫による窒息死(圧死)、頚椎損傷、骨盤骨折による失血死やクラッシュ症候群(クラッシュシンドローム)などであった。同じ車両から救出された生存者であってもクラッシュ症候群により手足切断など後遺障害を伴う重傷者が複数人確認されている。, JR発足後の死者数としては、1991年(平成3年)の信楽高原鐵道列車衝突事故(死者42名)を上回る史上最悪となる死傷者を出した。戦後(国鉄時代含む)では、八高線の列車脱線転覆事故(184名)、鶴見事故(161名)、三河島事故(160名)に続いて4番目、戦前・戦中にさかのぼっても7番目となる甚大な被害を出した。, また犠牲者の遺族・友人、負傷しなかった乗客、事故列車が激突したマンションの住人、救助作業に参加した周辺住民や消防隊員・警察官など、広範囲でPTSDを発症するなど大きな影響を及ぼした。, なお、マンションには47世帯が居住していたが、倒壊の恐れに備えてJR西日本が用意したホテルなどへ避難した。事故後も2世帯が残っていたが、8月上旬までに順次マンションを離れたため空家状態となった。その後、マンションは4階より上層階が取り除かれ、遺構の一部を取り込んだ慰霊施設「祈りの杜 福知山線列車事故現場」として整備され、2018年9月21日から一般公開されている[9]。, 物的損害の全貌は明らかではないが、駐車場にあって巻き込まれた多数の自動車がスクラップ同然の状態となった[10]。, 阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)の経験が生かされ、迅速な救助活動が行われた。事故発生直後、いち早く現場へ駆けつけて救助を始めたのは近隣住民である。死傷者があまりにも多く、救急車のみでは搬送が追いつかなかったため、歩行可能な負傷者および軽傷者は警察のパトカーや近隣住民の自家用車などで病院に搬送された。また、多数の負傷者を一度に搬送するため、大型トラックの荷台に乗せて病院へ搬送する手段が取られた。通常、座席を持たないトラックの荷台に人を乗せて公道を走ることは道路交通法違反にあたるが、兵庫県警は一刻を争う緊急事態であることを考慮し、白バイおよび機動パトロール隊の先導を条件に、道交法56条2項[注 2]を類推適用し黙認した。これらの結果、負傷者の半数は近隣の人々が医療機関に搬送しており、震災当時にみられたボランティアの精神が生かされている。のちに救助・救援活動の功績を讃えて、同年7月に76企業・団体と1個人に対して国から感謝状が、8月には48企業・団体と34個人に対して兵庫県警から感謝状が、9月には32企業・団体と30個人に対して尼崎市から感謝状がそれぞれ贈呈された。また、11月には日本スピンドル製造と1個人に対して紅綬褒章が授与された[注 3]。, 一方、当該列車にJR西日本の社員2名が乗車していたことも判明している。この社員らが職場に連絡をしたところ、上司から出勤命令が出たため、この社員は救助活動をせずに出勤したことが判明。救助より出勤を優先させるJR西日本の人命軽視体質として大々的に報道された。この報道は世論を巻き込み、広く批判の対象となった。, 公的機関としては、尼崎市消防局は県内消防本部の特別救助隊・救急隊に応援を要請(広域消防相互応援協定を含む)。兵庫県は緊急消防援助隊の応援要請、兵庫県警は広域緊急援助隊の出動要請をそれぞれ行った。さらに兵庫県は陸上自衛隊第3師団への災害派遣要請を行うも、同部隊の保有する救助資機材では引火の危険性があり使用できなかったため、同日17時には撤収した。現場はガソリンが流出しており引火の危険性が高く、その特殊性から救助活動はおもに消防の特別救助隊が行い[11][12]、警察やJR関係者、陸自(同日中に引き上げ)については搬送支援を行った。消防機関としては管轄の尼崎市消防局、県内の消防応援隊、緊急消防援助隊として大阪府の大阪市消防局・堺市消防局・枚方寝屋川消防組合、京都市消防局、岡山市消防局から特別救助隊や救急隊、航空隊など293隊1095名が出動し、約240名を救出した[13]。また、災害派遣医療チームが事故現場周辺に展開して大量の負傷者が発生した場合のトリアージを実施している。事故から約2時間後には、尼崎市により事故現場至近の大成中学校が開放されて避難所として利用されたほか、緊急車両の待機場や消防防災ヘリコプターの臨時ヘリポートとして活用された。, 広域消防相互応援協定により、複数自治体から応援があった一方で、負傷者の搬送先はそのほとんどが兵庫県下の病院となった[14]。尼崎市と隣接する大阪府への搬入も多数あったものの、JR西日本に付属する大阪鉄道病院(杉野成院長)は、患者受け入れ要請を「事故現場から遠い」との理由で断っている。その後、距離的にさらに遠いりんくう総合医療センターが受け入れている事実を指摘されたところ、「救急指定病院ではない」と理由を変えて、受け入れを拒否し続けた。この大阪鉄道病院の患者受け入れ拒否については、のちに垣内社長が国会で謝罪している。重傷者については、神戸市消防局航空機動隊、兵庫県防災航空隊および大阪市消防航空隊の消防防災ヘリコプターによる搬送も行われた[15]。, 兵庫県警察および航空・鉄道事故調査委員会による事故原因の解明が進められ、2007年(平成19年)6月28日に最終報告書が発表された[1]。, 航空・鉄道事故調査委員会の認定した脱線の原因については「脱線した列車がブレーキをかける操作の遅れにより、半径304 mの右カーブに時速約116 kmで進入し、1両目が外へ転倒するように脱線し、続いて後続車両も脱線した」という典型的な単純転覆脱線と結論づけた。現在では現場のATSには速度照査機能が追加されたが、2005年(平成17年)6月 - 2010年(平成22年)10月までに速度超過で列車が緊急停止する事態が11件も起こっており、速度が出やすい魔のカーブとされている[1][リンク切れ]。, なお、この脱線事故の原因の究明および以後の事故防止のために調査を行う航空・鉄道事故調査委員会が調査を行った。同委員会は2008年(平成20年)10月1日に運輸安全委員会へ改組されているが、本項では組織名を航空・鉄道事故調査委員会のまま記述する。, 航空・鉄道事故調査委員会の鉄道事故調査報告書によると、当日、当該列車運転士は、事故現場に至る以前から、JR東西線(京橋 - 尼崎駅の正式名称)にてATS-P曲線速照機能が動作したり、分岐器制限速度を超過したり、ATS-SWの確認扱いを怠って非常ブレーキを動作させたりするなど、通常の運転ではあまり見られない操作を繰り返していたことが記録より判明している[16]。, また、始発の宝塚駅やその次の停車駅である川西池田駅に入線する際にも、それぞれ停止位置を間違える[要出典]など、不自然な運転を繰り返していたことも判明している。運転士がその遅れを取り戻そうと制限速度を超えた可能性、また、単純に焦りと動揺などからブレーキ開始位置を失念しかけるのが遅れた可能性もある。さらに、事故報告書p.17 - 18によると、オーバーランした伊丹駅を発車後、最高速度いっぱいで力行・惰行の最中に運転士から車掌に車内電話があり、伊丹駅でのオーバーラン報告について「まけてくれへんか」と交渉されたと言い、このことに気を取られすぎて、ブレーキ位置を失念した可能性もある(運転士がブレーキをかけなければ、そのままの高速度で70 km/h制限の曲線に進入することとなる)。, なお当該線区に設置されていた自動列車停止装置 (ATS-SW) はJR西日本ではもっとも古いタイプのものとされ、あたかもこれが事故を防げなかった原因であるかのような報道もあった。ATS-SWでも速度照査用の地上子などの設備を設置すれば速度照査機能の付加は可能であり、ATS-SWそのものがただちに事故原因につながるわけではない。ちなみに事故現場には速度照査用の地上設備は設置されていなかった。, また、当該線区には新型のATSである自動列車停止装置 (ATS-P) の導入が予定されていたが、ATS-Pでも速度照査用の地上設備が設置されていないと、速度超過した列車を自動で減速あるいは停止させることはできないのは、ATS-SWと同様である。, 速度超過から脱線に至る原因は、せり上がり脱線説と横転脱線説の大きく2つの説があるが、レールの傷跡から後者と断定される。, 事故発生当初は、下記のように種々の原因が疑われた。しかし、最終報告書ではそれを裏付ける傍証は明示されなかった。, カーブ通過中に運転士が非常ブレーキをかけて車輪が滑走した場合、車輪フランジの機能が低下して脱線に至る可能性が大きいという説があり、当初、非常ブレーキを動作させなければ脱線および横転の可能性は少なかったと言われた。のちの解析の結果、運転士はカーブ進入後、車体が傾きだしていたにもかかわらず常用ブレーキを使用していたことが判明。非常ブレーキは脱線・衝突の衝撃で連結器が破損したことによって作動していた。, また、それ以前に運転士が数回にわたって非常ブレーキをかけていた原因については、0番台の車両と1000番台の車両のブレーキのかかり方の違いによるものであるという見方もある。0番台と1000番台ではブレーキの動作が違っているため、207系の運転経験がある運転士は(他形式とは違い)20 mほど手前から転がして微調整をかけるような運転の仕方が必要と話す。, 事故発生当初は、現場に大破した乗用車(実際は列車の駐車場突入時に巻き込まれた駐車車両)が存在することと列車の脱線の事実のみが伝わったことから、「踏切内で乗用車と列車が衝突し、列車が脱線した」との憶測が飛び交うなど情報が錯綜した。そしてJR西日本の当初発表が「踏切内での乗用車との衝突事故」だったため、報道各社はこのJR西日本発表を流した。発生2時間後の警察発表で否定されるまで、乗用車との衝突とする報道は続いた。, 塚口駅から同列車が脱線した地点までの区間に踏切は1つも存在せず、乗用車が近隣の建造物や立体駐車スペースから線路内へと落下した痕跡も確認されなかったことから、この説は明確に否定される。, JR西日本は事故発生から約6時間後の25日15時の記者会見の中で粉砕痕(置石を踏んだ跡)の写真を報道機関に示すなどして、置石による事故であることを示唆した。しかしJR西日本の置石説発表後に国土交通省が調査が済んでいない段階での置石であるとの断定を否定する発言を行い、JR西日本も原因が置石であるかのような断定を撤回する発言を行った。, その後も調査が進み、事故列車の直前に大阪方面へ向かう北近畿6号が通過するなど列車の往来が激しい区間であることから、多数の置石をするのが困難であること、置石の目撃者がいないこと、当初置石があった証拠として挙げられたレール上の粉砕痕は、航空・鉄道事故調査委員会の調査結果でその成分が現場のバラスト(敷石)と一致し、「脱線車両が巻き上げたバラストを、後部車両が踏んでできたものと考えるのが自然である」との調査委員会の見解が出された。, 国鉄時代から並行する阪急電鉄などの関西私鉄各社との激しい競争にさらされており、その影響からか、民営化後のJR西日本にも競合する私鉄各社への対抗意識が強かったとされる。私鉄各社との競争に打ち勝つことを意識するあまり、スピードアップによる所要時間短縮や運転本数増加など、目前のサービスや利益を優先し、安全対策が追いつかなかったと考えられる。, また同社においては、先述の競争の激しさや長大路線を抱えている点から、従業員がダイヤの乱れた時における乗客からの苦情の殺到を過度に恐れていたとの指摘もある。, 同社の安全設備投資に対する動きが鈍かった背景には、先述の私鉄各社との競争環境に加え、民営化後多数の赤字路線を抱えていたこと、阪神・淡路大震災で一部の施設が全壊ないし半壊するなどの被害を受けたことや、山陽新幹線のコンクリート崩落問題で多額の支出を強いられたことなどが挙げられる。, 目標が守られない場合に、乗務員に対する処分として再教育などの実務に関連したものではなく、日勤教育という懲罰的なものを科していた。具体的には乗務員休憩室や詰所、点呼場所から丸見えの当直室の真ん中に座らせ、事象と関係ない就業規則や経営理念の書き写しや作文・レポートの作成を一日中させた。トイレに行くのも管理者の許可が必要で、プラットホームの先端に立たせて発着する乗務員に「おつかれさまです。気をつけてください」などの声掛けを一日中させたり、敷地内の草むしりやトイレ清掃などを命じるなど、いわゆる「見せしめ」「晒し者」にする事例もあれば、個室に軟禁状態にして管理者が集団で毎日のように恫喝や罵声を浴びせ続けて自殺や鬱に追い込んだ事例もある。それが充分な再発防止の教育としての効果につながらず、かえって乗務員の精神的プレッシャーを増大させていた温床との指摘も受けている。, 事故の当該運転士も、過去に運転ミスや苦情などで3回の日勤教育を受け、知人や友人に「日勤教育は厳しい研修だ」「一日中文章を書いていなければならず、トイレに行くにも上の人に断らなければならないので嫌だ」「日勤教育は社訓みたいなものを丸写しするだけで、こういう事をする意味が分からない」「給料がカットされ、本当に嫌だ」「降ろされたらどうしよう」と話していた。さらに、事故直前の伊丹駅での72 mのオーバーランの後、車掌にオーバーランの距離を少なく報告するように車内電話で要請したことも明らかになっている。, 日勤教育については事故が起こる半年前に、国会において国会議員より「重大事故を起こしかねない」として追及されている。また、日勤教育は「事故の大きな原因の一つである」と、多くのメディアで取り上げられることになった。, 国土交通省の事故調査報告書は、日勤教育について「ほとんど精神論[19]」と断じ、事故原因として「日勤教育等のJR西日本の管理方法が関与したと考えられる」と報告している。, 事故発生路線である福知山線は、阪急電鉄の宝塚線・神戸線・伊丹線と競合しており、他の競合する路線への対抗策と同様、秒単位での列車の定時運行を目標に掲げていたとされている。特に尼崎駅においては各線と乗り継ぎできるダイヤを組んでいたため、列車の定時到着は乗客へのサービス上、ほぼ絶対の要件であった。, 120 km/h運転や停車時間が15秒などもともと全体的に余裕のないダイヤだった上、停車駅を次々と追加したにもかかわらず、所要時間は2003年(平成15年)12月に快速が中山寺駅に停車するダイヤ設定前と同じであった[注 9]ため、余裕時分を削って以前と変わりない所要時間で走らせ、慢性的な遅延が出ていることは問題視されていた。特に当該列車においては基準運転時分通りの最速列車で、事故発生区間である塚口駅 - 尼崎駅間では2004年(平成16年)10月のダイヤ改正によりさらに短縮されていた[20]。, 事故調査委員会が全国のJR・私鉄・公営鉄道事業者のダイヤを調べたところ、余裕時分のないダイヤを組んでいたのはJR西日本だけであった。, 当該事故発生前の現場周辺は、運行本数が多く速度も比較的高速な大都市近郊路線であるにもかかわらず、速度照査用の自動列車停止装置設備が設置されていなかった。JR東西線では開業時から全線でATS-Pが設置されていたが、福知山線においては付け替え区間も含めてATS-Pは当初設置されず、旧来のままとされた。, 元々、福知山線では信号機に対する自動列車停止装置として、ATS-Pの代わりに、絶対停止機能と速度照査機能(点速度照査方式)のなかった従来の国鉄型ATS-S形の上位互換機種であるATS-SW形[注 10]が設置されていた[注 11]が、速度照査を行うには速度照査用の地上子が必要だったものの、該当区間には速度照査用地上子(SW照査子)が設置されておらず、事故前には速度照査は実施されていなかった。, 旧国鉄時代からJR東西線が開業するまで、福知山線は上下線とも東海道本線へのアプローチが尼崎駅西側の外側線(列車線)に接続されていた。旧下り線は尼崎駅を出たあと東海道本線の南に分岐しそこから東海道本線を回り込む形で北上し現在のルートを通り現場のマンションの北側から直進していたが、旧上り線はそのままほぼ直進して南下し東海道本線の外側線に接続していた。のち、福知山線はJR東西線との直通運転を開始するにあたり、上下線ともに内側線(電車線)に接続させる必要が生じたことから大掛かりな線路の付け替えが行われ、特に上り線は、下り線に併設されていた尼崎市場への貨物線跡地などを利用した新しいルートを通ることとなり、現在に至っている。ただ、結果として、それまでより曲線半径が小さくなったのであった。カーブでは高速運転をするためにカントを付けるのだが、現場は緩和曲線が短く、カントは上限105 mmより少ない97 mmなので、その分制限速度が5 km/h低くなっていた(半径300 mでカント105 mm(上限値)での制限速度は75 km/h。なお、従前の「本則」では60〜65 km/h)。, なお、現場のマンションはこの上り線の旧線跡の一部を利用して建てられたものである(2002年竣工)。, ブレーキハンドルについては、ハンドル位置に、常用最大ブレーキ(B8)と非常ブレーキの間にどちらのブレーキ指令も発せられないポイントが存在していた。この区間は、0番台・1000番台・2000番台とで異なる位置だった。また事故を起こした編成の7両目のマスコンは、そのポイントが11°あり、他の車両よりブレーキ緩解区間が広くなっていた[21]。, 207系7両編成の前4両(0番台/日立製作所製)と後3両(1000番台/近畿車輛製)では、主電動機(モーター)[注 12]や主制御器などの性能に微妙な差異があるため、回生時に発生するブレーキ力にも差がある。また、車両によってブレーキの利き方に違いがあり、事故車の先頭車は特に癖のある車両だったとの運転士の証言がある。ただし、近畿日本鉄道等いくつかの私鉄では基礎ブレーキ構造がそもそも違う[注 13]車両を読み替え装置を使って併結している場合もあり、JR西日本でも同じ電気指令式ブレーキながら界磁添加励磁制御の221系とVVVFインバータ制御の223系を併結して運用することや、一部編成中に主電動機出力の差のある車両が混結されている223系0・2500番台[注 14]などのケースもあり、主電動機や主制御器の違いが事故の大きなファクターであったとは考えにくい。なお2015年以降0・500番台全車の主電動機は323系と同一のもの[注 15]に交換されている[注 16]。, 「使用している鉄道車両の台車がヨーダンパ付ボルスタレス台車(端梁なし台車DT50・TR235)であって、ねじれに弱い」と鉄道評論家の川島令三などが指摘している。そのねじれによりヨーダンパが跳ね上げ運動を起こし脱線したと論じており京浜急行電鉄・京阪電気鉄道・阪急電鉄などでは、台車は安全上軽量化すべき箇所ではないという考え方からボルスタアンカ付の台車を採用していることを論拠としている[注 17]。また、異常振幅により空気バネが片方では大きく縮み、もう片方では大きく膨らんだため車体が傾いたのが脱線原因、とした報道もあった[22]。, しかし一方で、軟弱地盤を抱えながらも高速運転を行っている東武鉄道では、古くからボルスタレス台車が使用されている。さらに、ボルスタレス台車の構造が事故原因とする川島令三の著書内容について、『鉄道ジャーナル』誌に鉄道評論家・交通研究家の久保田博による反論文が掲載。台車の基本的構造はボルスタアンカの有無にかかわらず変わるものではなく、また異常振幅に対するストッパは存在しており、空気バネが大きく伸縮することはあり得ないと反論した。, なお、福知山線事故・最終報告書は、台車については論じておらず、これに対してボルスタレス台車が事故原因である旨の具体的なデータを伴った充分な再反証は提出されていない。鉄道車両の台車 脚注89, 客室内設備についても、事故発生時における被害軽減の観点から、手すりの配置、形状の改善などを検討するべきとの航空・鉄道事故調査委員会からの所見を受けて、JR西日本では207系全車と117系・115系の一部車両について車内吊り手を増設している。, 事故を起こした207系車両がステンレス鋼製の軽量構造で、旧来の板厚の大きい鋼鉄製に比べ、車体側面からの衝撃に弱いという報道が相次いだ。しかし、一般的に、長尺物はその材質によらず、側面方向の衝撃が一点にかかるとそこにエネルギーが集中するので破壊がおきやすい(飲料水などの金属製の缶類がわかりやすい例として挙げられる)。ステンレス鋼自体も普通鋼と比べると、鋼板の粘りなどで有利な面もあり、一概に強度が低いとは言えないと言う反論もある。また、錆が出ないため、経年劣化が著しく少ないという点でも有利である。, また、207系車両は従来の車両に近い構造の車体設計となっており、のちに登場した同社の223系2000番台や321系においても、製造コスト削減と量産体制の簡素化を図りながら、従来の車両と同等の強度を確保することを両立させるため、梁を省略する代わりに車体側板の強度を上げることにより、車体全体を支える設計思想に基づく車体構造となっている(これはJR東日本の209系以降の通勤・近郊型車両でも、ほぼ同じ設計思想である)。, 原型を留めること無くステンレス鋼体の車両が破壊された重大事故であることを鑑み、「客室内の空間が確保されるよう車体構造を改善することを含め、引き続き車両の安全性向上方策の研究を進めるべき」との所見が航空・鉄道事故調査委員会から提出されている。これをうけて、223系5500番台以降の新型車両で、屋根と車体側面、台枠と車体側面への結合部材の追加、戸袋部(ドア)柱への補強の追加、車体側面の外板の材質変更をおこなっている[24]。また、JR東日本E233系も製造当初から側面の強化を実施した。, 全ての国鉄近代車両の設計に携わった、後の国鉄副技師長の星晃は、地方路線を高速で走る80系特急型気動車の設計に際して、事故を考慮すると先頭部分を客室にすることは出来ないと述べ、先頭部分に機械室を設けた。80系特急型気動車は、設計時点の最高運転速度は110 km/h(実際の最高運転速度は100 km/h)であるが、その後に登場した、最高運転速度120 km/hの181系特急型気動車では、機械室部分が延長された。また、山陽新幹線の博多延伸開業に際して製作されたキハ66・67では、国鉄設計事務所関係者は、柱をなす垂直部材を台枠に差し込んで連結を強固にして、安全性を高めたと述べている。逆に、軽量化に注力し、客席を車端まで設置した車両では、1984年(昭和59年)7月21日 に山陰本線で発生した特急「やくも」事故に見られるように橋脚がアルミニウム製車体の端部にめり込み、高運転台の運転士は助かった(後に自殺)が、乗客が死亡した事例がある。, 車両のメンテナンスが大味であるとの指摘もある。他の鉄道会社の車両でも日常的に起こっている車輪が滑走した際にできる偏摩耗の補修放置が最たる例で、放置すればするほどに車輪が真円でなくなり、走行中に非常に耳障りな音がでる。裏を返せばそれだけの負担を車輌にかける運行体制であることになる。, また、4年に1度速度計の精度を検査するよう義務付けられているにもかかわらず、車両メーカーからの納入後1度も検査していなかったことが分かり、2 %までの誤差は許容範囲とされているが3 - 4 %の誤差があった可能性があったことが判明した。, 本件事故を起こした運転士は運転歴11か月で、運転技術や勤務姿勢が未熟だった可能性がある[25]。この背景には、国鉄分割民営化後の人員削減策と定年退職による自然減を待って新規採用を本格化させたという人事戦略があるとされる。とくにJR西日本においては他のJR各社と比べ長期間にわたって新規採用者を絞り、定年退職者がまとまった数になったのを契機に採用者を増やしたために運転士の年齢構成に偏りが出て、その結果、運転経験の浅い若手に運転技術を教える中堅およびベテラン運転士が少なくなったといわれている。, 事故当日は、前日24日から2日間にわたっての勤務で、6時48分に放出駅から乗務し、松井山手駅まで回送し、松井山手発快速尼崎行き、尼崎発宝塚行き回送、宝塚発快速同志社前行きに乗務し、9時38分に京橋駅で乗務を終える予定だった。乗務開始から事故発生までに運転士は数回にわたってミスがあった。(前述の事故報告書記述と併せて参照されたい), 9時前、宝塚駅停車中、折り返しのため、車掌が尼崎方1両目から7両目に移動した際、運転士が最後部の運転席で3分以上座っており、車掌に気付き室内から出た際、車掌が直前の停車に対して「(ATS) Pで止まったん?」との問いに運転士は不機嫌な様子で無言のまま立ち去った。, 9時1分頃、本来運転士が使用することのない無線の試験信号が指令所に受信される。事故調査報告書によると運転士は度重なったミスにより、宝塚駅到着前後には既に心身的に影響があったとしている。度重なったミスを車掌が指令所に報告しないか確認するため無線に気を取られ[注 18]、伊丹駅手前の停車ボイスを聞き逃し、伊丹駅を72 mオーバーランした。, 伊丹駅を1分30秒で出発後、車掌を呼び出し「まけてくれへんか?」と求める。車掌の「だいぶと行っとるよ?」との返答に再度「まけてくれへんか?」と言ったところで乗客が乗務員室の仕切り窓越しに車掌にクレームを入れたため、車掌から電話を切った。車掌側の状況を知らない運転士は虚偽報告を拒否されたと思い、再度運転士は車掌と指令員の交信内容に注意を払っていた。そのためカーブの認識が遅れ、ブレーキを操作するも間に合わず脱線した。また、運転士の右手の手袋が外れており、運転席に赤鉛筆が落ちていたことから、事故直前、運転士は交信内容をメモしていたと思われる(メモは運転士用時刻表のケースに記されたと思われるが、事故の衝撃でケースが粉砕されたため内容は確認されなかった)。, 報告書では、列車が事故現場のカーブを高速度で進入したのは運転士が意識的に行ったのではなく、車掌と指令員の交信に気を取られ、ブレーキ操作が大幅に遅れ、充分減速できないまま現場カーブに進入し、脱線したとしている。, JR西日本が絡んだ重大な列車事故として、1991年(平成3年)5月に発生した信楽高原鐵道での同社線内列車とJR西日本からの直通列車との正面衝突事故がある。JR西日本は信号システムを信楽高原鐵道に全く連絡せずに改変するなどの行為があったが、結局、刑事告訴はされなかった。しかし、その後、遺族側が事故原因を究明するため、1993年10月にJR西日本と信楽高原鐵道を被告とする民事裁判を提訴、1999年の大津地方裁判所判決で両社の過失が認定された。しかしJR西日本は過失責任を否定して控訴。2002年の大阪高等裁判所判決も同社の過失を認定、同社は上告を断念して判決が確定した[26]。さらに、JR西日本が補償費用の肩代わり分として約25億円の支払いを信楽高原鐡道や県、市に求めた訴訟の判決で、大阪地方裁判所は2011年4月27日、JR西日本に3割の責任があると認定した[27]。先の事故を起こした体質に対する反省や教訓が生かされぬまま、安全を軽視し、再び当該事故を招くことになったとの指摘がある[28]。, また、事故列車にJRの運転士(非番)が2人乗車していたが、運転区長の業務優先や執行役員・大阪支社長の講演会への出席の指示により救助活動を行わなかったため批判された。鉄道事故調査報告書p.29に、乗り合わせた職員(非番)と職場との遣り取りが記載されている。 結婚式 エンドロール フォント 30, 筑波大学 医学部 部活 6, 三浦 春 馬 うたつなぎ 15, サヨナラまでの30分 Stand By Me 9, バルセロナ 6冠 メンバー 22, 戦国無双 真 田丸 最強キャラ 20, にんじゃりばんばん 歌詞 ひらがな 11, 股下70 メンズ 身長 26, 節約ロック Dvd レンタル ゲオ 4, ダイソン 扇風機 リモコン 電池 5, Suhr Classic Pro レビュー 5, 上野東京ライン 混雑 号車 6, 動物 変身 アニメ 10, 清原翔 夏 空 4, Ds ネプリーグ ゲーム 新しい 出現 条件 6, 財産 英語 例文 6, ハンサムライブ 2010 Dvd 21, 釣りバカ日誌 11 ロケ地 7, シルビア クランク角センサー 故障 14, 花嫁のれん ドラマ ロケ地 4, 野球 重い球 物理 6, Jr東海 決算 コロナ 9, めざましテレビ 挿入歌 2020 7, 咲 阿知賀 なんj 40, グリーンボーイズ 道 パート 42,



2005年4月25日、私たちは、福知山線において、106名のお客様の尊いお命を奪い、500名を超える方々を負傷させるという、極めて重大な事故を惹き起こしました。お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、ご遺族の皆様、お怪我をされた方々とそのご家族の皆様に深くお詫び申し上げます。 また、周辺にお住まいの方々をはじめ、多くの方々に大変なご迷惑をおかけいたしましたことを心よりお詫び申し上げます。あわせまして、警察、消防、自衛隊、医療機関、周辺企業、自 … 兵庫県尼崎市で2005年4月に乗客106人が死亡したJR福知山線脱線事故で、JR西日本の長谷川一明社長は7日、大阪府吹田市内に建設する事故車両の専用施設を24年秋ごろに完成させると発表し …
| 2005年4月25日の朝、当時は前の仕事を辞めて自宅警備をしていた頃で、たまたま何気なくつけたテレビで見た映像は衝撃でした。. jr福知山線脱線事故で、現場近くに設けられた献花台. (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); YouTube=鉄道ファンの待合室資料館では、珍しい列車・話題の列車の走行動画を編集少なめで公開しています。.

本年度分の運行を終え、9月23日から26日にかけて手稲から伊東まで甲種輸送が実施されました。その後、伊... 毎日2万人近く訪れる鉄道趣味サイト“鉄道ファンの待合室” サイトと連動した鉄道動画を少なめの編集で公開しています。, おかげさまで個人運営の趣味サイトとしてはかなり多くの方に閲覧をしていただいており、大変嬉しく思います。今後も鉄道趣味で生活をしつつ、余裕が生まれてきたら将来的には鉄道車両保存や中小鉄道事業者の支援などの活動に取り組んでいけ…, 線路側に“地上子”と呼ばれる制限速度超過した場合に即時停止が出来るような送受信機が設置されていなかったこと, 緊急時の非常停止措置をワンプッシュで行える赤い大きなボタンスイッチ“TE装置”の整備, 本来は鉄道会社が咎められるものではありませんが、いわゆる“列停”作動が車掌に気付きにくい設置方法だったこと, https://jtsb.mlit.go.jp/jtsb/railway/bunkatsu.html, https://www.westjr.co.jp/safety/action/ats/, 【早口】鉄道系YouTuberスーツ君の生態は?本名・高校・不正乗車疑惑の正体は?, 【E257系踊り子号】2500番台“修善寺編成”試運転本格化!駿豆線や14両で日中走行. 日章旗を誇らしげに掲げ、厳戒警備のなか颯爽と走り抜けていくお召し列車はかっこいいの一言です。 JR福知山線脱線事故(ジェイアールふくちやませんだっせんじこ)は、2005年(平成17年)4月25日に西日本旅客鉄道(JR西日本)の福知山線(JR宝塚線)塚口駅 - 尼崎駅間で発生した列車脱線事故である。乗客と運転士合わせて107名が死亡、562名が負傷した[1]。, なお、JR西日本では、「福知山線脱線事故」ではなく「福知山線列車事故」と呼称している[2]。マスコミなどでは、「JR宝塚線脱線事故」や「尼崎JR脱線事故」などとも呼称される[3][4]。, 2005年(平成17年)4月25日午前9時18分ごろ、兵庫県尼崎市久々知にある福知山線塚口駅 - 尼崎駅間の右カーブ区間[5](曲率半径304 m。塚口駅の南約1 km、尼崎駅の手前約1.4 km地点)で宝塚発JR東西線・片町線(学研都市線)経由同志社前行き上り快速(列車番号5418M、7両編成[注 1])の前5両が脱線した。うち前4両は線路から完全に逸脱。先頭の2両は線路脇の分譲マンション「エフュージョン尼崎」(2002年竣工)に激突。先頭車は1階ピロティ部の駐車場へ突入し、2両目はマンション外壁へ横から激突しさらに脱線逸脱してきた3 - 4両目と挟まれて圧壊。外壁にへばりつくような状態で、1 - 2両目は原形をとどめないほどに大破した[6][7]。また、3 - 4両目は反対側の下り線路を支障していた。, 事故列車は、直前の停車駅である伊丹駅で所定の停車位置を超過(オーバーラン)していた。これについて、事故が起きる前に運転士が車掌に対してオーバーランの距離を短く申告するように打診し、車掌が新大阪総合指令所(現・大阪総合指令所)に対して約70 mのオーバーランを8 mと報告し、JR西日本も当初車掌の証言通り8 mのオーバーランと発表していた。 このことから、事故後にほかの路線や鉄道会社において発生した列車のオーバーランについても大きくクローズアップされた。さらにJR西日本が事故当日に行った発表の中で、線路上への置石による脱線の可能性を示唆したことから、愉快犯による線路上への置石や自転車などの障害物を置くといった犯罪も相次いだ。, 事故発生と同時刻には、並行する下り線に新大阪発城崎温泉行きの特急「北近畿3号」が接近中だったが、事故を目撃した近隣住民が近くの踏切支障報知装置(踏切非常ボタン)を押したため、特殊信号発光機が点灯。運転士が異常を察知し、およそ100 m手前で緊急停止して防護無線を発報しており、二重事故は回避された。事故後、現場の曲率半径304 mの曲線区間は制限速度70 km/hから60 km/hに、手前の直線区間は120 km/hから95 km/hへとそれぞれ変更された。, 事故列車は、4両編成と途中の片町線(学研都市線)京田辺駅で切り離す予定だった3両編成を連結した7両編成で運転していた。前から1・4・5・7両目の運転台のある車両に列車の運行状態(非常ブレーキ作動の前後5秒間)を逐一記録する「モニター制御装置」の装備があり、航空・鉄道事故調査委員会が解析を行ったところ、前から5両目(後部3両編成の先頭車両)と7両目に時速108 kmの記録が表示されていた。ただし、これがただちに脱線時の速度を示しているとは限らない。先頭車両が脱線、急減速した影響でジャックナイフ現象によって車列が折れ、連結器部分で折り畳まれるような形になったために、側面から玉突きになって被害が拡大したものとされる。, 当時、事故車両の1両目は、片輪走行で左に傾きながら、カーブ開始点付近の線路そば電柱に接触し[8]マンション脇の立体駐車場と同スペースに駐車していた乗用車を巻き込むとともに左に横転、マンション1階の駐車場部分へと突入し奥の壁に激突した。続く2両目も、片輪走行しながら、マンションに車体側面から叩きつけられる状態に加えて3両目に側面から挟まれるように追突されたことによって、建物に巻きつくような形でくの字型に大破。3両目は、進行方向と前後が逆になる。4両目は、3両目を挟むようにして下り線(福知山方面)の線路と西側側道の半分を遮る状態でそれぞれ停止した。なお、事故発生当初、事故車両の2両目部分が1両目と誤認されていたが、のちに本来の車両数(7両)と目視で確認できる車両数(6両)が一致しないことから捜索され、1両目が発見された。, 駐車場周辺において電車と衝突して大破した車からガソリン漏れが確認されており、引火を避け被害者の安全を確保するためにバーナーや火花が散る電動カッターを用いることができず、救助作業は難航した。また、3両目から順に車両を解体する作業を伴い、徹夜で続けられた救助作業は事故発生から3日後の4月28日に終了した。, 近隣住民および下り列車に対しての二次的被害は免れたものの、直接的な事故の犠牲者は死者107名(当該列車の運転士含む)、負傷者562名[1]を出す、交通機関の事故としては歴史に残る大惨事となった。犠牲者の多くは1両目か2両目の乗客で、受傷理由として脱線衝突の衝撃で車体が圧壊し内装部材や車体に押し潰されたことによる損傷などを負ったとするものもあるが、死因で最も多いものは、車内で飛ばされるなどして打撲受傷した、頭蓋底骨折、陥没骨折などによる脳挫傷、急性硬膜外血腫、硬膜下血腫などの脳と頭部の損傷であり、死者のうち42名、全体の40 %を占めていた。そのほかに胸腹腔内損傷、胸腹部圧迫による窒息死(圧死)、頚椎損傷、骨盤骨折による失血死やクラッシュ症候群(クラッシュシンドローム)などであった。同じ車両から救出された生存者であってもクラッシュ症候群により手足切断など後遺障害を伴う重傷者が複数人確認されている。, JR発足後の死者数としては、1991年(平成3年)の信楽高原鐵道列車衝突事故(死者42名)を上回る史上最悪となる死傷者を出した。戦後(国鉄時代含む)では、八高線の列車脱線転覆事故(184名)、鶴見事故(161名)、三河島事故(160名)に続いて4番目、戦前・戦中にさかのぼっても7番目となる甚大な被害を出した。, また犠牲者の遺族・友人、負傷しなかった乗客、事故列車が激突したマンションの住人、救助作業に参加した周辺住民や消防隊員・警察官など、広範囲でPTSDを発症するなど大きな影響を及ぼした。, なお、マンションには47世帯が居住していたが、倒壊の恐れに備えてJR西日本が用意したホテルなどへ避難した。事故後も2世帯が残っていたが、8月上旬までに順次マンションを離れたため空家状態となった。その後、マンションは4階より上層階が取り除かれ、遺構の一部を取り込んだ慰霊施設「祈りの杜 福知山線列車事故現場」として整備され、2018年9月21日から一般公開されている[9]。, 物的損害の全貌は明らかではないが、駐車場にあって巻き込まれた多数の自動車がスクラップ同然の状態となった[10]。, 阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)の経験が生かされ、迅速な救助活動が行われた。事故発生直後、いち早く現場へ駆けつけて救助を始めたのは近隣住民である。死傷者があまりにも多く、救急車のみでは搬送が追いつかなかったため、歩行可能な負傷者および軽傷者は警察のパトカーや近隣住民の自家用車などで病院に搬送された。また、多数の負傷者を一度に搬送するため、大型トラックの荷台に乗せて病院へ搬送する手段が取られた。通常、座席を持たないトラックの荷台に人を乗せて公道を走ることは道路交通法違反にあたるが、兵庫県警は一刻を争う緊急事態であることを考慮し、白バイおよび機動パトロール隊の先導を条件に、道交法56条2項[注 2]を類推適用し黙認した。これらの結果、負傷者の半数は近隣の人々が医療機関に搬送しており、震災当時にみられたボランティアの精神が生かされている。のちに救助・救援活動の功績を讃えて、同年7月に76企業・団体と1個人に対して国から感謝状が、8月には48企業・団体と34個人に対して兵庫県警から感謝状が、9月には32企業・団体と30個人に対して尼崎市から感謝状がそれぞれ贈呈された。また、11月には日本スピンドル製造と1個人に対して紅綬褒章が授与された[注 3]。, 一方、当該列車にJR西日本の社員2名が乗車していたことも判明している。この社員らが職場に連絡をしたところ、上司から出勤命令が出たため、この社員は救助活動をせずに出勤したことが判明。救助より出勤を優先させるJR西日本の人命軽視体質として大々的に報道された。この報道は世論を巻き込み、広く批判の対象となった。, 公的機関としては、尼崎市消防局は県内消防本部の特別救助隊・救急隊に応援を要請(広域消防相互応援協定を含む)。兵庫県は緊急消防援助隊の応援要請、兵庫県警は広域緊急援助隊の出動要請をそれぞれ行った。さらに兵庫県は陸上自衛隊第3師団への災害派遣要請を行うも、同部隊の保有する救助資機材では引火の危険性があり使用できなかったため、同日17時には撤収した。現場はガソリンが流出しており引火の危険性が高く、その特殊性から救助活動はおもに消防の特別救助隊が行い[11][12]、警察やJR関係者、陸自(同日中に引き上げ)については搬送支援を行った。消防機関としては管轄の尼崎市消防局、県内の消防応援隊、緊急消防援助隊として大阪府の大阪市消防局・堺市消防局・枚方寝屋川消防組合、京都市消防局、岡山市消防局から特別救助隊や救急隊、航空隊など293隊1095名が出動し、約240名を救出した[13]。また、災害派遣医療チームが事故現場周辺に展開して大量の負傷者が発生した場合のトリアージを実施している。事故から約2時間後には、尼崎市により事故現場至近の大成中学校が開放されて避難所として利用されたほか、緊急車両の待機場や消防防災ヘリコプターの臨時ヘリポートとして活用された。, 広域消防相互応援協定により、複数自治体から応援があった一方で、負傷者の搬送先はそのほとんどが兵庫県下の病院となった[14]。尼崎市と隣接する大阪府への搬入も多数あったものの、JR西日本に付属する大阪鉄道病院(杉野成院長)は、患者受け入れ要請を「事故現場から遠い」との理由で断っている。その後、距離的にさらに遠いりんくう総合医療センターが受け入れている事実を指摘されたところ、「救急指定病院ではない」と理由を変えて、受け入れを拒否し続けた。この大阪鉄道病院の患者受け入れ拒否については、のちに垣内社長が国会で謝罪している。重傷者については、神戸市消防局航空機動隊、兵庫県防災航空隊および大阪市消防航空隊の消防防災ヘリコプターによる搬送も行われた[15]。, 兵庫県警察および航空・鉄道事故調査委員会による事故原因の解明が進められ、2007年(平成19年)6月28日に最終報告書が発表された[1]。, 航空・鉄道事故調査委員会の認定した脱線の原因については「脱線した列車がブレーキをかける操作の遅れにより、半径304 mの右カーブに時速約116 kmで進入し、1両目が外へ転倒するように脱線し、続いて後続車両も脱線した」という典型的な単純転覆脱線と結論づけた。現在では現場のATSには速度照査機能が追加されたが、2005年(平成17年)6月 - 2010年(平成22年)10月までに速度超過で列車が緊急停止する事態が11件も起こっており、速度が出やすい魔のカーブとされている[1][リンク切れ]。, なお、この脱線事故の原因の究明および以後の事故防止のために調査を行う航空・鉄道事故調査委員会が調査を行った。同委員会は2008年(平成20年)10月1日に運輸安全委員会へ改組されているが、本項では組織名を航空・鉄道事故調査委員会のまま記述する。, 航空・鉄道事故調査委員会の鉄道事故調査報告書によると、当日、当該列車運転士は、事故現場に至る以前から、JR東西線(京橋 - 尼崎駅の正式名称)にてATS-P曲線速照機能が動作したり、分岐器制限速度を超過したり、ATS-SWの確認扱いを怠って非常ブレーキを動作させたりするなど、通常の運転ではあまり見られない操作を繰り返していたことが記録より判明している[16]。, また、始発の宝塚駅やその次の停車駅である川西池田駅に入線する際にも、それぞれ停止位置を間違える[要出典]など、不自然な運転を繰り返していたことも判明している。運転士がその遅れを取り戻そうと制限速度を超えた可能性、また、単純に焦りと動揺などからブレーキ開始位置を失念しかけるのが遅れた可能性もある。さらに、事故報告書p.17 - 18によると、オーバーランした伊丹駅を発車後、最高速度いっぱいで力行・惰行の最中に運転士から車掌に車内電話があり、伊丹駅でのオーバーラン報告について「まけてくれへんか」と交渉されたと言い、このことに気を取られすぎて、ブレーキ位置を失念した可能性もある(運転士がブレーキをかけなければ、そのままの高速度で70 km/h制限の曲線に進入することとなる)。, なお当該線区に設置されていた自動列車停止装置 (ATS-SW) はJR西日本ではもっとも古いタイプのものとされ、あたかもこれが事故を防げなかった原因であるかのような報道もあった。ATS-SWでも速度照査用の地上子などの設備を設置すれば速度照査機能の付加は可能であり、ATS-SWそのものがただちに事故原因につながるわけではない。ちなみに事故現場には速度照査用の地上設備は設置されていなかった。, また、当該線区には新型のATSである自動列車停止装置 (ATS-P) の導入が予定されていたが、ATS-Pでも速度照査用の地上設備が設置されていないと、速度超過した列車を自動で減速あるいは停止させることはできないのは、ATS-SWと同様である。, 速度超過から脱線に至る原因は、せり上がり脱線説と横転脱線説の大きく2つの説があるが、レールの傷跡から後者と断定される。, 事故発生当初は、下記のように種々の原因が疑われた。しかし、最終報告書ではそれを裏付ける傍証は明示されなかった。, カーブ通過中に運転士が非常ブレーキをかけて車輪が滑走した場合、車輪フランジの機能が低下して脱線に至る可能性が大きいという説があり、当初、非常ブレーキを動作させなければ脱線および横転の可能性は少なかったと言われた。のちの解析の結果、運転士はカーブ進入後、車体が傾きだしていたにもかかわらず常用ブレーキを使用していたことが判明。非常ブレーキは脱線・衝突の衝撃で連結器が破損したことによって作動していた。, また、それ以前に運転士が数回にわたって非常ブレーキをかけていた原因については、0番台の車両と1000番台の車両のブレーキのかかり方の違いによるものであるという見方もある。0番台と1000番台ではブレーキの動作が違っているため、207系の運転経験がある運転士は(他形式とは違い)20 mほど手前から転がして微調整をかけるような運転の仕方が必要と話す。, 事故発生当初は、現場に大破した乗用車(実際は列車の駐車場突入時に巻き込まれた駐車車両)が存在することと列車の脱線の事実のみが伝わったことから、「踏切内で乗用車と列車が衝突し、列車が脱線した」との憶測が飛び交うなど情報が錯綜した。そしてJR西日本の当初発表が「踏切内での乗用車との衝突事故」だったため、報道各社はこのJR西日本発表を流した。発生2時間後の警察発表で否定されるまで、乗用車との衝突とする報道は続いた。, 塚口駅から同列車が脱線した地点までの区間に踏切は1つも存在せず、乗用車が近隣の建造物や立体駐車スペースから線路内へと落下した痕跡も確認されなかったことから、この説は明確に否定される。, JR西日本は事故発生から約6時間後の25日15時の記者会見の中で粉砕痕(置石を踏んだ跡)の写真を報道機関に示すなどして、置石による事故であることを示唆した。しかしJR西日本の置石説発表後に国土交通省が調査が済んでいない段階での置石であるとの断定を否定する発言を行い、JR西日本も原因が置石であるかのような断定を撤回する発言を行った。, その後も調査が進み、事故列車の直前に大阪方面へ向かう北近畿6号が通過するなど列車の往来が激しい区間であることから、多数の置石をするのが困難であること、置石の目撃者がいないこと、当初置石があった証拠として挙げられたレール上の粉砕痕は、航空・鉄道事故調査委員会の調査結果でその成分が現場のバラスト(敷石)と一致し、「脱線車両が巻き上げたバラストを、後部車両が踏んでできたものと考えるのが自然である」との調査委員会の見解が出された。, 国鉄時代から並行する阪急電鉄などの関西私鉄各社との激しい競争にさらされており、その影響からか、民営化後のJR西日本にも競合する私鉄各社への対抗意識が強かったとされる。私鉄各社との競争に打ち勝つことを意識するあまり、スピードアップによる所要時間短縮や運転本数増加など、目前のサービスや利益を優先し、安全対策が追いつかなかったと考えられる。, また同社においては、先述の競争の激しさや長大路線を抱えている点から、従業員がダイヤの乱れた時における乗客からの苦情の殺到を過度に恐れていたとの指摘もある。, 同社の安全設備投資に対する動きが鈍かった背景には、先述の私鉄各社との競争環境に加え、民営化後多数の赤字路線を抱えていたこと、阪神・淡路大震災で一部の施設が全壊ないし半壊するなどの被害を受けたことや、山陽新幹線のコンクリート崩落問題で多額の支出を強いられたことなどが挙げられる。, 目標が守られない場合に、乗務員に対する処分として再教育などの実務に関連したものではなく、日勤教育という懲罰的なものを科していた。具体的には乗務員休憩室や詰所、点呼場所から丸見えの当直室の真ん中に座らせ、事象と関係ない就業規則や経営理念の書き写しや作文・レポートの作成を一日中させた。トイレに行くのも管理者の許可が必要で、プラットホームの先端に立たせて発着する乗務員に「おつかれさまです。気をつけてください」などの声掛けを一日中させたり、敷地内の草むしりやトイレ清掃などを命じるなど、いわゆる「見せしめ」「晒し者」にする事例もあれば、個室に軟禁状態にして管理者が集団で毎日のように恫喝や罵声を浴びせ続けて自殺や鬱に追い込んだ事例もある。それが充分な再発防止の教育としての効果につながらず、かえって乗務員の精神的プレッシャーを増大させていた温床との指摘も受けている。, 事故の当該運転士も、過去に運転ミスや苦情などで3回の日勤教育を受け、知人や友人に「日勤教育は厳しい研修だ」「一日中文章を書いていなければならず、トイレに行くにも上の人に断らなければならないので嫌だ」「日勤教育は社訓みたいなものを丸写しするだけで、こういう事をする意味が分からない」「給料がカットされ、本当に嫌だ」「降ろされたらどうしよう」と話していた。さらに、事故直前の伊丹駅での72 mのオーバーランの後、車掌にオーバーランの距離を少なく報告するように車内電話で要請したことも明らかになっている。, 日勤教育については事故が起こる半年前に、国会において国会議員より「重大事故を起こしかねない」として追及されている。また、日勤教育は「事故の大きな原因の一つである」と、多くのメディアで取り上げられることになった。, 国土交通省の事故調査報告書は、日勤教育について「ほとんど精神論[19]」と断じ、事故原因として「日勤教育等のJR西日本の管理方法が関与したと考えられる」と報告している。, 事故発生路線である福知山線は、阪急電鉄の宝塚線・神戸線・伊丹線と競合しており、他の競合する路線への対抗策と同様、秒単位での列車の定時運行を目標に掲げていたとされている。特に尼崎駅においては各線と乗り継ぎできるダイヤを組んでいたため、列車の定時到着は乗客へのサービス上、ほぼ絶対の要件であった。, 120 km/h運転や停車時間が15秒などもともと全体的に余裕のないダイヤだった上、停車駅を次々と追加したにもかかわらず、所要時間は2003年(平成15年)12月に快速が中山寺駅に停車するダイヤ設定前と同じであった[注 9]ため、余裕時分を削って以前と変わりない所要時間で走らせ、慢性的な遅延が出ていることは問題視されていた。特に当該列車においては基準運転時分通りの最速列車で、事故発生区間である塚口駅 - 尼崎駅間では2004年(平成16年)10月のダイヤ改正によりさらに短縮されていた[20]。, 事故調査委員会が全国のJR・私鉄・公営鉄道事業者のダイヤを調べたところ、余裕時分のないダイヤを組んでいたのはJR西日本だけであった。, 当該事故発生前の現場周辺は、運行本数が多く速度も比較的高速な大都市近郊路線であるにもかかわらず、速度照査用の自動列車停止装置設備が設置されていなかった。JR東西線では開業時から全線でATS-Pが設置されていたが、福知山線においては付け替え区間も含めてATS-Pは当初設置されず、旧来のままとされた。, 元々、福知山線では信号機に対する自動列車停止装置として、ATS-Pの代わりに、絶対停止機能と速度照査機能(点速度照査方式)のなかった従来の国鉄型ATS-S形の上位互換機種であるATS-SW形[注 10]が設置されていた[注 11]が、速度照査を行うには速度照査用の地上子が必要だったものの、該当区間には速度照査用地上子(SW照査子)が設置されておらず、事故前には速度照査は実施されていなかった。, 旧国鉄時代からJR東西線が開業するまで、福知山線は上下線とも東海道本線へのアプローチが尼崎駅西側の外側線(列車線)に接続されていた。旧下り線は尼崎駅を出たあと東海道本線の南に分岐しそこから東海道本線を回り込む形で北上し現在のルートを通り現場のマンションの北側から直進していたが、旧上り線はそのままほぼ直進して南下し東海道本線の外側線に接続していた。のち、福知山線はJR東西線との直通運転を開始するにあたり、上下線ともに内側線(電車線)に接続させる必要が生じたことから大掛かりな線路の付け替えが行われ、特に上り線は、下り線に併設されていた尼崎市場への貨物線跡地などを利用した新しいルートを通ることとなり、現在に至っている。ただ、結果として、それまでより曲線半径が小さくなったのであった。カーブでは高速運転をするためにカントを付けるのだが、現場は緩和曲線が短く、カントは上限105 mmより少ない97 mmなので、その分制限速度が5 km/h低くなっていた(半径300 mでカント105 mm(上限値)での制限速度は75 km/h。なお、従前の「本則」では60〜65 km/h)。, なお、現場のマンションはこの上り線の旧線跡の一部を利用して建てられたものである(2002年竣工)。, ブレーキハンドルについては、ハンドル位置に、常用最大ブレーキ(B8)と非常ブレーキの間にどちらのブレーキ指令も発せられないポイントが存在していた。この区間は、0番台・1000番台・2000番台とで異なる位置だった。また事故を起こした編成の7両目のマスコンは、そのポイントが11°あり、他の車両よりブレーキ緩解区間が広くなっていた[21]。, 207系7両編成の前4両(0番台/日立製作所製)と後3両(1000番台/近畿車輛製)では、主電動機(モーター)[注 12]や主制御器などの性能に微妙な差異があるため、回生時に発生するブレーキ力にも差がある。また、車両によってブレーキの利き方に違いがあり、事故車の先頭車は特に癖のある車両だったとの運転士の証言がある。ただし、近畿日本鉄道等いくつかの私鉄では基礎ブレーキ構造がそもそも違う[注 13]車両を読み替え装置を使って併結している場合もあり、JR西日本でも同じ電気指令式ブレーキながら界磁添加励磁制御の221系とVVVFインバータ制御の223系を併結して運用することや、一部編成中に主電動機出力の差のある車両が混結されている223系0・2500番台[注 14]などのケースもあり、主電動機や主制御器の違いが事故の大きなファクターであったとは考えにくい。なお2015年以降0・500番台全車の主電動機は323系と同一のもの[注 15]に交換されている[注 16]。, 「使用している鉄道車両の台車がヨーダンパ付ボルスタレス台車(端梁なし台車DT50・TR235)であって、ねじれに弱い」と鉄道評論家の川島令三などが指摘している。そのねじれによりヨーダンパが跳ね上げ運動を起こし脱線したと論じており京浜急行電鉄・京阪電気鉄道・阪急電鉄などでは、台車は安全上軽量化すべき箇所ではないという考え方からボルスタアンカ付の台車を採用していることを論拠としている[注 17]。また、異常振幅により空気バネが片方では大きく縮み、もう片方では大きく膨らんだため車体が傾いたのが脱線原因、とした報道もあった[22]。, しかし一方で、軟弱地盤を抱えながらも高速運転を行っている東武鉄道では、古くからボルスタレス台車が使用されている。さらに、ボルスタレス台車の構造が事故原因とする川島令三の著書内容について、『鉄道ジャーナル』誌に鉄道評論家・交通研究家の久保田博による反論文が掲載。台車の基本的構造はボルスタアンカの有無にかかわらず変わるものではなく、また異常振幅に対するストッパは存在しており、空気バネが大きく伸縮することはあり得ないと反論した。, なお、福知山線事故・最終報告書は、台車については論じておらず、これに対してボルスタレス台車が事故原因である旨の具体的なデータを伴った充分な再反証は提出されていない。鉄道車両の台車 脚注89, 客室内設備についても、事故発生時における被害軽減の観点から、手すりの配置、形状の改善などを検討するべきとの航空・鉄道事故調査委員会からの所見を受けて、JR西日本では207系全車と117系・115系の一部車両について車内吊り手を増設している。, 事故を起こした207系車両がステンレス鋼製の軽量構造で、旧来の板厚の大きい鋼鉄製に比べ、車体側面からの衝撃に弱いという報道が相次いだ。しかし、一般的に、長尺物はその材質によらず、側面方向の衝撃が一点にかかるとそこにエネルギーが集中するので破壊がおきやすい(飲料水などの金属製の缶類がわかりやすい例として挙げられる)。ステンレス鋼自体も普通鋼と比べると、鋼板の粘りなどで有利な面もあり、一概に強度が低いとは言えないと言う反論もある。また、錆が出ないため、経年劣化が著しく少ないという点でも有利である。, また、207系車両は従来の車両に近い構造の車体設計となっており、のちに登場した同社の223系2000番台や321系においても、製造コスト削減と量産体制の簡素化を図りながら、従来の車両と同等の強度を確保することを両立させるため、梁を省略する代わりに車体側板の強度を上げることにより、車体全体を支える設計思想に基づく車体構造となっている(これはJR東日本の209系以降の通勤・近郊型車両でも、ほぼ同じ設計思想である)。, 原型を留めること無くステンレス鋼体の車両が破壊された重大事故であることを鑑み、「客室内の空間が確保されるよう車体構造を改善することを含め、引き続き車両の安全性向上方策の研究を進めるべき」との所見が航空・鉄道事故調査委員会から提出されている。これをうけて、223系5500番台以降の新型車両で、屋根と車体側面、台枠と車体側面への結合部材の追加、戸袋部(ドア)柱への補強の追加、車体側面の外板の材質変更をおこなっている[24]。また、JR東日本E233系も製造当初から側面の強化を実施した。, 全ての国鉄近代車両の設計に携わった、後の国鉄副技師長の星晃は、地方路線を高速で走る80系特急型気動車の設計に際して、事故を考慮すると先頭部分を客室にすることは出来ないと述べ、先頭部分に機械室を設けた。80系特急型気動車は、設計時点の最高運転速度は110 km/h(実際の最高運転速度は100 km/h)であるが、その後に登場した、最高運転速度120 km/hの181系特急型気動車では、機械室部分が延長された。また、山陽新幹線の博多延伸開業に際して製作されたキハ66・67では、国鉄設計事務所関係者は、柱をなす垂直部材を台枠に差し込んで連結を強固にして、安全性を高めたと述べている。逆に、軽量化に注力し、客席を車端まで設置した車両では、1984年(昭和59年)7月21日 に山陰本線で発生した特急「やくも」事故に見られるように橋脚がアルミニウム製車体の端部にめり込み、高運転台の運転士は助かった(後に自殺)が、乗客が死亡した事例がある。, 車両のメンテナンスが大味であるとの指摘もある。他の鉄道会社の車両でも日常的に起こっている車輪が滑走した際にできる偏摩耗の補修放置が最たる例で、放置すればするほどに車輪が真円でなくなり、走行中に非常に耳障りな音がでる。裏を返せばそれだけの負担を車輌にかける運行体制であることになる。, また、4年に1度速度計の精度を検査するよう義務付けられているにもかかわらず、車両メーカーからの納入後1度も検査していなかったことが分かり、2 %までの誤差は許容範囲とされているが3 - 4 %の誤差があった可能性があったことが判明した。, 本件事故を起こした運転士は運転歴11か月で、運転技術や勤務姿勢が未熟だった可能性がある[25]。この背景には、国鉄分割民営化後の人員削減策と定年退職による自然減を待って新規採用を本格化させたという人事戦略があるとされる。とくにJR西日本においては他のJR各社と比べ長期間にわたって新規採用者を絞り、定年退職者がまとまった数になったのを契機に採用者を増やしたために運転士の年齢構成に偏りが出て、その結果、運転経験の浅い若手に運転技術を教える中堅およびベテラン運転士が少なくなったといわれている。, 事故当日は、前日24日から2日間にわたっての勤務で、6時48分に放出駅から乗務し、松井山手駅まで回送し、松井山手発快速尼崎行き、尼崎発宝塚行き回送、宝塚発快速同志社前行きに乗務し、9時38分に京橋駅で乗務を終える予定だった。乗務開始から事故発生までに運転士は数回にわたってミスがあった。(前述の事故報告書記述と併せて参照されたい), 9時前、宝塚駅停車中、折り返しのため、車掌が尼崎方1両目から7両目に移動した際、運転士が最後部の運転席で3分以上座っており、車掌に気付き室内から出た際、車掌が直前の停車に対して「(ATS) Pで止まったん?」との問いに運転士は不機嫌な様子で無言のまま立ち去った。, 9時1分頃、本来運転士が使用することのない無線の試験信号が指令所に受信される。事故調査報告書によると運転士は度重なったミスにより、宝塚駅到着前後には既に心身的に影響があったとしている。度重なったミスを車掌が指令所に報告しないか確認するため無線に気を取られ[注 18]、伊丹駅手前の停車ボイスを聞き逃し、伊丹駅を72 mオーバーランした。, 伊丹駅を1分30秒で出発後、車掌を呼び出し「まけてくれへんか?」と求める。車掌の「だいぶと行っとるよ?」との返答に再度「まけてくれへんか?」と言ったところで乗客が乗務員室の仕切り窓越しに車掌にクレームを入れたため、車掌から電話を切った。車掌側の状況を知らない運転士は虚偽報告を拒否されたと思い、再度運転士は車掌と指令員の交信内容に注意を払っていた。そのためカーブの認識が遅れ、ブレーキを操作するも間に合わず脱線した。また、運転士の右手の手袋が外れており、運転席に赤鉛筆が落ちていたことから、事故直前、運転士は交信内容をメモしていたと思われる(メモは運転士用時刻表のケースに記されたと思われるが、事故の衝撃でケースが粉砕されたため内容は確認されなかった)。, 報告書では、列車が事故現場のカーブを高速度で進入したのは運転士が意識的に行ったのではなく、車掌と指令員の交信に気を取られ、ブレーキ操作が大幅に遅れ、充分減速できないまま現場カーブに進入し、脱線したとしている。, JR西日本が絡んだ重大な列車事故として、1991年(平成3年)5月に発生した信楽高原鐵道での同社線内列車とJR西日本からの直通列車との正面衝突事故がある。JR西日本は信号システムを信楽高原鐵道に全く連絡せずに改変するなどの行為があったが、結局、刑事告訴はされなかった。しかし、その後、遺族側が事故原因を究明するため、1993年10月にJR西日本と信楽高原鐵道を被告とする民事裁判を提訴、1999年の大津地方裁判所判決で両社の過失が認定された。しかしJR西日本は過失責任を否定して控訴。2002年の大阪高等裁判所判決も同社の過失を認定、同社は上告を断念して判決が確定した[26]。さらに、JR西日本が補償費用の肩代わり分として約25億円の支払いを信楽高原鐡道や県、市に求めた訴訟の判決で、大阪地方裁判所は2011年4月27日、JR西日本に3割の責任があると認定した[27]。先の事故を起こした体質に対する反省や教訓が生かされぬまま、安全を軽視し、再び当該事故を招くことになったとの指摘がある[28]。, また、事故列車にJRの運転士(非番)が2人乗車していたが、運転区長の業務優先や執行役員・大阪支社長の講演会への出席の指示により救助活動を行わなかったため批判された。鉄道事故調査報告書p.29に、乗り合わせた職員(非番)と職場との遣り取りが記載されている。

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